[ 踊り手紹介 ]


安田理英(やすだりえ)

本人注:

自己紹介に、ささらほうさらの成り立ちもからんじゃったので、

長いです。

お手数ですが、興味持たれたら、お読みください。

 

 静岡県出身。

4歳の時病弱な体と自閉的な精神を改善するためにと

バレエ教室に叩き込まれたのが踊りとの出会い。

何をやっても長続きはしなかったが

踊ることは何かはまるものがあったらしく

17歳まで続ける。

が、もっと遊びたいという理由で簡単にやめる。

しばらくして、やはり体がムズムズし始めしかし

バレエのようにお綺麗でないものがないかと考え、

芝居に足を突っ込む。

そんなある日劇団の先輩が、大駱駝艦という舞踏の集団に入ってしまう。

その先輩の舞踏初舞台、京都南座での

「怪談 海印の馬」が面白かったので

翌年の大駱駝艦の体験舞踏合宿に参加。

その後もワークショップに通うが芝居も辞めず

どっちつかずでふらふらとしていたのだが

何度か公演に誘っていただいたりしてるうちに

楽しくなってきて、らくだという集団にのめりこんでいく。

’93、歳の近い女性メンバー3名で、若手ユニットを立ち上げ、その時に、なんとなく自分が何かをやる際に名義にしてみたいと思っていた方言「ささらほうさら」をユニット名にゴリ押しする。

当初は3名の中で一番先輩の工藤治子が作品作りをしていたが、

ささらほうさらへの出演休止やらくだ退団などによって安田が担当するようになった。

らくだ時代のささら作品は工藤3作、安田3作、踊り手達の共同1作(うろ覚えなので誤差あるかも)

そうこうしてるうちに、らくだへの在籍が10年になり

自分で作品を作っていきたいと思ったので、退団を選ぶ。

メンバーは一から探すことになるが、ユニット名は、自分の名付けたささらほうさらにこだわっていくことに。

ワークショップなどから集めたメンバーで再スタート。

年一回の公演と、らくだ在籍時からいただいていた野毛大道芸での金粉ショーの仕事が定食といった感じの活動。

が、金粉の方ばかりが名が知れていったり、

公演打つのが金銭的に破たんしてきたり、

メンバーとの踊りへのテンションの温度差などから

もろもろ上手くいかなくなっていく。

2010年の小公演を最後に、常駐メンバー制をやめ、

作品やイベントごとに人を募る方法をとることに。

依存しあわない、一回の本番のために集まる人々のモチベーションは高く、

このやり方だなあ、と思うようになる。

そんなある日、ワークショップから参加し、

一回ごとに募る踊り手の常連となっていた加藤知子から

「私もささらほうさらになりたい」

と伝えられる。

メンバーはもう抱えるまいと思っていたところでもあり

まあ、ではとりあえず色々やる時は必ずつきあったりして、いけるとこまでいってみよう、

という感じになる。

その後の加藤の踊りへののめりこみ、成長はめざましく

気づけば、ささらほうさらメンバー加藤知子、は圧倒的な位置を占めているのであった。

 

というような感じで現在に至っております。

二人ささらほうさらの公演、各自のソロ、他の踊り手を迎えてのささらほうさらなど

地味ではありますが今後もなんやかや踊っていく様子。

 

 

 

 


加藤知子(かとうともこ)

千葉県出身。

高校卒業後、人形劇やモノを使った舞台活動に数年関わるが意欲的に進めなくなってやめていく。

2010年、ささらほうさら舞踏ワークショップに参加し、とても面白くて続けて通う。2011年の群舞『アメノ鱗人』より作品に参加。

 

ワークショップ、稽古、作品に関わる中で踊りを体験し学びながら現在ささらほうさらメンバーとして活動中。